自分なりの道・・・とは!!

栃木県宇都宮市で、高気密高断熱高耐震の家づくりをしている
自然素材工務店。
みずもくの水上です。

今日9月4日の木曜日の記念樹は、「ハナイカダ」

花言葉は「嫁の涙」「気高い人」
ミズキ科ハナイカダ属の落葉低木です。
ハナイカダの若芽は春の山菜としても知られ、洋食、和食
どちらにもよく合います。

ということで、
自分なりの道。ということで、とあるセミナーに参加してきました。
ブランデングの大先輩である群馬県の田村工業の代表取締役の田村 博さんの
「田村工業道」。
私は、2回目となりましたが、聞いてよかったです。
オストコーポレーション北関東の吉田さんの誘いでもありましたが、
(自分から進んで参加しなくてはなりません汗)
セミナーの最初は、吉田さんのレクチャーから。

今の大手メーカーの住宅着工状況からブランデングを進める
工務店としての心構えをお話しいただきました。
そして、本題の田村社長のお話。

普通のセミナーは、小手先のノウハウやマニュアル、
一般的な内容に終始しますが、
田村さんのお話は、全く違います。
私が思うに「田村工業道」というよりは「田村道」。
会社の経営の話ももちろん終始お話しいただきましたが、
核となるのは、田村社長本人の生き様です。
「人」に焦点を合わせた内容です。
生まれてから、学生生活、奥様との出会い。
お父様との確執。乗り越えて夫婦工務店としてのスタート。
挫折と心の富裕層のお客様との出会い。
まさに生き様の話です。
ブランデングで会社の経営をつくる。のではなく、
人がどう生きるか、そして生き方そのものがブランデングになる。
話を聞いて、私も54歳になり田村さんまではいかなくても
今までいろんな経験をしてきました。
生まれてから家業が工務店の環境。
大学ではアメフトとバイトの日々。
そのころバブルがはじけて就職。
ヘーベルハウスの営業を6年間勤めましたが、
当時は平成でしたが、まだまだ昭和のサラリーマン。
上下関係が厳しく、営業として月1棟の受注ノルマ。
家づくりを通してお客さんに喜んでもらうという想いもつかの間
キャンペーンやら値引きやらでお客さんを追い詰める手法。
全く気が乗らず、受注がとれるはずがありません。
そうしているうちに、うつの症状が出始め、会社を休みがちに。
このまま続けていても、自分が自分でなくなると感じました。
そのころ大学時代から交際していた人と出会って9年目で結婚。
自分のこんな状況を支えてもらい、思い切って会社を辞める決断。
宇都宮の実家に戻ってきました。
やはりそのあとも営業マン気質が抜けず、工務店とは?のイロハの「ィ」も
わからず、年間10棟は受注できる!粗利30%以上!などの謳い文句の
とあるシステムを当時経理をしていた母に頼み込み、500万円で購入。
「500万円!!!」法外ですよね。
でもその時は、このシステムを使えば、昔ながらの工事をしていて、
紹介のみの経営をしていた当時の会社をなんとか変えられる!
と思っていたので、金額ほど重く感じてはいませんでした。
結局そのマニュアルがどっさり送られてきて活かすことができないまま、
借金だけが残ってしまいました。
バカですよね!今思うと本当に・・・
しっかり工務店の仕事を覚えなくてはと、当時叔父が営業もしていて
私の担当のお客さまをつけてくれました。
ただただ一所懸命、要望に応えるだけでした。その繰り返し。
資格もFP、宅建、2級建築士、福祉住環境コーディネーターなど
取りましたが、経営も仕事もそれだけでは、何の役にも立ちません。
20代後半から30代くらいまで同じ状況でした。
その後、子どもが生まれたことで、このままではダメだと
自分で考えらる、得意なこと、自社の武器は?
と考えたときに、やっぱり木材をもっと勉強して地元の材料を使って
お客様に提供したいと思いようになりました。
自分で仕様を考え、提案して、何棟か引渡しもしました。
順調かに見えましたが、実行予算も中途半端で、利益にならない。
そんな時に、渡りに船とばかりに手を出したのが、
当時は画期的でしたが、すまいポートという設計コンペ。
すまいポートに来たお客様が、要望を担当に伝え、まとめたものを
登録している工務店に一斉送信。内容を見て、やると決めた工務店が
返信して、さらにそこから数社に絞らて、やっとお客様に会える。
会ってから初回ヒアリング。2回目でプレゼン、見積り。
これでお客様はどこか1社に決める。
最初は続けて受注がありましたが、世の中の変化もあり
材料の高騰や、お客さんのニーズの変化、自社の限界もあり
徐々に棟数も少なくなりました。
そんな時に、お付き合いしていた設計士さんから新規のお客様を
ご紹介いただき、私が43歳の頃です。
喜んで打合せ、契約と順調に進みました。
が、着工が進むと、様々な問題がおこり、お客さんとの亀裂が
生じ始めました。
細かい内容は控えますが、後にも先にも着工して、途中解約で
引き渡しが出来なかったのは、この1棟限りでした。
自分を見失っていたのはこのころです。
その後も、利益の出ない仕事が続き、一番厳しい時期でした。
今思うと、なるべくしてなっていたんだとわかります。
そして、
50才を迎えて、生まれて初めてブランデングを進める決意をして
今現在を迎えているわけですが、自分の通ってきた道を消すことはできません。
たくさんの出会いがあり、自分の生き様があり、そこから今の自分がある。
芯ができたからこそ、自分はこう思う!と伝えきることができると田村さんも
おっしゃいました。
田村道を毎年、自分事として聞くことで、ブレずに自分の進む道を
進むことができる実感が維持できています。

最後に有難くも質問の機会をいただきました。
そして、私自身が足りないことを気づかせていただきました。

自分の生き方に責任を持ちます。

そして今は、はっきりしています。
みずもくの家づくりを通して、笑顔になってほしい。
みずもくの家づくりを通して、幸せになってほしい。
みずもくの家づくりを通して、木ここちよく居ここち良い暮らしをしてほしい!

誰の道でもなく、自分の道をどう人に伝えるか。
今後も訓練し続けます。

みずもくのつぶやきを最後までご覧いただきありがとうございました。
みずもくの家

みずもくは、栃木県、宇都宮市で、高気密高断熱 高耐震の木造注文住宅を
手がける自然素材工務店です。
地元栃木県の県産材を構造や仕上げにふんだんに使用し、
羊毛断熱材や珪藻土などの自然素材を得意としています。
また、断熱リフォームや中古住宅、既存住宅のフルリノベーションも
ご提案いたします。
さらに、C値0.3以下、UA値0.3以下、許容応力度計算による耐震等級3
をかかげ日々家づくりに精進しております。
よろしくお願いいたします。

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